2012年7月18日水曜日

さだまさし「アントキノイノチ」

ヒトをおとしいれたことがありますか?

いいえ、ですよね。

では、ヒトを解雇したことがありますか?

ある、という人もいるはずです。


その時、本当に自分は公正であったか?
良く思い出してみてください。
私はNO、です。

ヒトを解雇する時、それはかなりなところ雇い主あるいは上司の主観が大きいに違いありません。
何かの事件や出来事がもとで解雇ということになっても、それ以前のインプレッションが大きくて解雇につながることが多いでしょう。

もともと仕事ができないヒト。
何回注意しても間違えるヒト。
顧客からのクレームの積み重なり。

それが積み重なって、解雇となるはずです。

ただし、そのときに私は努力をしていたでしょうか?
日々の雑務に流されて教育を怠ってはいなかったでしょうか?

過去20年で2件(人)上司に解雇を促したことがあります。
どうしても彼らに教育することができませんでした。
1人はしゃべることが下手で、不器用で、顧客からのクレームが全く減らなかったヒト。
もう1人は教えられることを拒否し、自分で仕事を限定し、それで正しい許されると思ってしまっていたヒト。
本当はそれを教育して、使い物になるようにして、みんながハッピーになるのがゴールだったんじゃないでしょうか?

どうなんでしょう?


今日、ここにこんなことを書くのは、
1、上司の悪口が書きたい
2、自分もその悪い波に巻き込まれないように、スタンスを書いておきたい
ということなんです。


<その1>
上司はお勉強のできるという意味の頭のいい人ですが、人の好き嫌いが激しく、決して聡明な感じではないヒトです。
私は嫌われています(笑)
なぜかはわかりません。
多分、わかったような口をきくところが気にくわないからでしょう。
そして、上司は教育者としては恥ずかしいくらい教えるのが下手です。

以前から彼には非常に気にくわない部下がいました。
私たちはなるべく彼らが同じチームになることを避けるように努力しています。
しかし100%というのは無理。

きっかけは小さなことで、その部下が彼に確認を怠った、ということだけです。
それで誰が死んだわけでもなく、クライアントはそれで満足をしていましたが。。。
もちろん上司は此処ぞとばかりに話を膨らませ、周りに吹聴し、あたかも取り返しがつかないようなことをしたという雰囲気を作り上げました。
その話をまず我々にし、それは自主退職しか無い、とまで我々に言わせるほどでした。
それよりももっと注意勧告をすべき事柄はあるのに。。。。。。

事実関係を明らかにすると、上司の言っていたような「重要書類のねつ造」はなく、「確認の怠り」あるいは「上司(部下)とのコミュニケーション不足」でした。

ほんとに最低です。
教育者うんぬんというよりは、、、「アントキノイノチ」の登場人物「松井」に似すぎています。

<その2>
私はその部下の再教育係に任命されました。
私が優秀だから??ちがいます。
私が上司から「膨らんだ話」を聞いたあと、「もう少しその部下とコミュニケーションをとってあげてください(あなたのお気に入りの部下と同じように)」と、言いに行ってしまったからです。
何かあったときに一緒に切るのは好都合なのはありありとしています。
そして厄介なことに上司はその感情が自分の中にあることから目を背け、正しいことをしていると1人で勘違いをしていることです。

でも私はそんな部下が嫌いではありません。
確かに不時着や大惨事にならないように低空飛行させるのは至難の業のようですが、私が以前であった2例よりは救い様があります。
悲しいことに、そんな上司も嫌いではないのです。

そして、、
「アントキノイノチ」を読んだときに、確かに私の中にも「松井」がいることを感じました。

それを払拭しなくてはいけない。

上司のようになってはいけない。




今年、私は何かをしなくては、と思っていました。
ユニセフ基金以外のなにか。
7月になってこの話が勃発するのと同時に、もう一つの社会的活動の参加を促されました。
この話は社会的でも何でも無いけれど、私のしなくてはいけないものなんだと思って取り組もうと思います。

これをもし目にした方。
そして人物に心当たりがある方。
どうぞ、その名前は心の底にしまって傍観してください。
これは、私が、私の中の「松井新太郎」と戦うための決意表明です。
そっと見守ってください。

私の人生は、部下の送るそれと比べたら、この先短いのはあえて言うまでもありません。
絶対にいい人生を送らせてあげたい。
その一漕ぎ目の船のテールを、岸からぐんっと押してあげたいだけです。

2012年4月13日金曜日

今年は楽しみなのだ

今年の秋には同窓会があります。
毎年の同窓会と違うのはFacebookが事前にあること。

20年前、獣医師としてのスタートラインについた私たちはドングリの背比べで、大志の抱き方に個人差があるものの大してかわらない状態であったにもかかわらず、20年たった今は一人一人に大きな差と、全く角度が違う方向性が、悲しくも楽しいということがわかりました。

Facebookはつながるツールとして楽しい。


ともあれ秋が楽しみです。
秋まで無事に生きられますように。

2012年3月27日火曜日

どうしてなおせないんだろう

と、ふがいなく思うことがあります。
写真のフレンチブルはキャサリン、まだ私たちがであった時は彼女は1歳半でした。
足首のところが腫れてそれが治らなくて大学病院に来たキャサリンは、1ヶ月後の診断では関節炎、3ヶ月後に悪化して再来院した時には骨肉腫、の診断でした。

私たちはなんとかしてキャサリンを助けようとしました。
でも診断が遅れた理由も、そのあと断脚したのも、抗がん剤も、悪い巡り合わせばかりで、キャサリンは苦しかったと思います。

どうしてなおせないんだろう。

もちろん骨肉腫は人の医療でもまだまだ治せない病気の一つです。
ただ、キャサリンの場合は病気の進行がひどくて、それは病気の進行の「速さ」はひどいのではなく、病気の進行していく「様」がひどくて。
断脚をして1ヶ月はとても調子の良かったキャサリンでしたが、抗がん剤を始めてまだ数週間しかたってない時に転移が見つかりました。
皮膚転移です。
骨肉腫が離れた場所の皮膚に転移する事は珍しいですが、皮膚の腫瘤からとれた細胞は見間違う事ないほどキャサリンの足からとれた骨肉腫の細胞に似ていました。
そして2週間後には眼の中に転移。虹彩というところです。
そして全身に転移がおこりました。

私たちが治療を始めて7ヶ月後、薬では押さえられなくなった痛みに悲鳴をあげ続けるキャサリンを私たちは眠らせてあげることにしました。
 激痛があるにもかかわらず、大好きだった眉間の間を最期に気持ち良さそうになでさせてくれたのは忘れられません。

安楽死で仕事を終われる獣医は、楽だと思います。かわいそうですけれど。
私の仕事は続きます。

とてもご理解のある方だったので、承諾を得て病理解剖を行います。
最近は解剖の前にAI(Autopsy Imaging 死亡時画像診断)です。。これを手がかりに解剖を進めるのと同時に、後日解剖結果と照らし合わせ画像診断の精度を上げます。
病理解剖。。。もともと病理出身の私ですので、解剖に抵抗はないのですが、さすがに自分の患者だとつらいです。
様々な臓器が出されて計量されていくのを見ながら、何かできることはなかったかを考えてしまいます。
昔は取り出された臓器を全てホルマリン固定しながら解剖を進行していましたが、今は違います。
腫瘍細胞のみを様々な場所から取り出し、細胞を生かしたままで保管します。。。つまり腫瘍細胞を培養したり、DNAを調べたりするためです。
骨肉腫は転移をする癌としてよく知られていますが、今その転移するシステムの解明が重要視されています。
キャサリンの腫瘍細胞は培養され、転移するのに何が必要なのか、何があったらダメなのかを研究されていきます。
空っぽになってしまったキャサリンを元のからだに戻すのは、外科の人の仕事です。眠ってるように見えるように仕上げます。


今日、全ての結果が出そろって(実は数週間前にはでてましたが)やっと私も飼い主さんにご報告のお手紙を書くことができました。
ご報告というか、お礼です。

キャサリンの一部だったものは、そのからだを蝕んだがん細胞とともに、これから生まれてくる犬やもしかしたら人間の命を助けるために役立たせていただく事となりました。

でも、今、私は治したいんです。
自分の非力を感じます。

2012年3月25日日曜日

池袋はこれから。。

東京に住んでいると、今はやっている街、もうすぐはやりそうな街、というのが明確。
でも私が「面白いかも」って思うのは「はやるのかわかんない街」だったり。

今いる池袋は秋葉原と似ているなぁ、とも思うけど、秋葉原のようにエレクトリカルパレードなイメージが固定されていないので、冬になるとメイド系な客引きやコスプレの人たち(意外と露出が多いことがわかった)の人たちは激減します。
そのかわり、ちょっと人通りの少ない路地にいいお店ができたり♪

例えばお近くのサンシャイン大通り、ここはいわば大河で人の住めるところではなく大きな船をつけたり商売をするところで、実際立ち止まって「何食べようかしら」などと考えることはできません。
支流(脇道その1)に入ってみるとまだ大河の流れの影響が色濃く、ラーメン屋(並んですぐ食べれる)ホテル(ビジネスであったりそうでなかったり)コンビニ(各種取り揃えてございます)が大河から紛れ込んできた魚を誘い込もうとしています。
さらに支流に入るとビジネスビルを経て次の大きな川(道路)へ。

この商業ビルの間にちょこっと残された空間が一番面白いのですが、池袋にはまだ結構あるんです。

そこで見つけたのがゴッチス。もうそこは雑司ヶ谷。
もう我が家ではなくてはならない存在になってます。

客引きの人たちが多いのは池袋北西部。
面白いお店がいっぱいあって、今のところはアガリコで満足。

そして今日は、お昼のお店を発見。
EAST VILLAGEサンシャインの大河の支流の支流のところにあるお店。
ジムのあとのハンバーガーがおいしかった〜〜〜〜♪雰囲気もよし。


こういうことがあるから、都会はやめられない。

2012年3月8日木曜日


ビールに関する些末な見解

バリではビンタンビールがおいしかったです。
が、沖縄でオリオンビールがおいしいのです。
つまり、東京で激ウマとされるエビスやモルツが、バリや沖縄でおいしいか?といわれると、そうではないという事なのです。

「ビールは環境に影響され影響する」

う〜ん。。。
当然のような気がする。。。。

2012年3月7日水曜日


Baliはこんなでした。


ダイビングというものは人によってそれぞれ楽しみ方が違っていて、よくあるパターンは「写真好き」であります。
サンゴやウミウシなどの比較的動きの少ない被写体から始まり、大物狙いになったり、マクロ(とっても小さいものがターゲット)狙いになったり、様々な進化を遂げるらしいです。

私は単純に泳ぐ事が好きなので、写真目的のダイバーとはあまり相性がよくありません。
一緒に潜ることになったら、その人が飽きる(またはあきらめる)までおつきあいしますが、上いったり下いったり、仰向けに寝てたり、様々やって一人で遊んでいます。

おかげでいろんな泳ぎ方ができるようになりました(あまり安全ではない)。

沖縄でガイドしてくれていた人は小さいものを見つけるのが得意だったので、当然そういうのが好物なダイバーが集まります。
また魚の名前にも詳しい。
「それがおいしい魚か、そうでないか」くらいしかわからない私も門前の小僧ですから、見つけるのも少しうまくなりました。


今回のダイビングは、total7本潜りました。
Baliの海は透明度は沖縄ほど高くはありませんが、雨期も助けて栄養豊富であり、魚影は濃かったです。
以下覚書。

1日目。アメッド。
ハタタテハゼ、クマノミ多数。セバエアアネモネフィッシュなんかも見れました。
ウミウシ多数。クダゴンベ。アケボノハゼ。ムズジコショウダイ。などなど。。
写真の頼りない舟でポイントまで行きますが、Exitの時ピックアップに来てくれなかった(^_^;)さずがばりにーず。

2日目。ヌサペニダ、ヌサレンボガン。
島影が寒いですが、マンボウやマンタがみられるらしい。。。という事は見られなかったんです。
マンボウは時期外れなのでしょうがないとしても。
「マンタ」
またかよ(-_-;)
もう絶対私はマンタが見られないんだ。もう100以上は潜ってるのに。ハワイ島でも、モルディブでも、沖縄でも、昨日まで群れでマンタがいても、私が潜るといないんです。
「マンタbaby」(まぁ、エイとか、ヒラメとか)をつついてました。
ハナダイ、ウメイロ、なんかが昨日のに加えて群れで登場。
3本目はゆっくり目のドリフトで楽しめました。黄色いカサゴ発見。

3日目。トランペン。嫌いな沈船。
バラクーダ、ギンガメアジが群れで登場。1日目2日目の方々と競演。
ガーデンイールは隠れる事知らず。。長すぎでしょ。
ギンガメアジの群れは沈船についているので、群れの真ん中に入ることができました。
ナポレオンフィッシュの赤ちゃん(これはほんと)が隠れているのも発見。
ハナヒゲウツボがカップルであちこちに!
ピグミードラゴンフィッシュもみせてもらいました。

という事で、久々に海の中を満喫できたというわけです。

2012年2月22日水曜日

baliにきました。
バケーションですよ。久しぶりに♪

私は2回目。nobuは多数回目。
今回はSanurサヌールというところに泊まっています。
日本人がいないので、日本語が通じません(あたりまえ)
nobuはインドネシア語がしゃべれて、私が英語というわけで、フロントの人たちがおもしろがっています。

本日の面白かったこと。など。
クルブシ級   成田のチェックインが20分かからなかったこと
ヒザ級     デンパサールのイミグレーションがヤケにスムースになっていたこと
カタ級     飛行機の中で観た「Real Steel」がおもしろかった
オーバーヘッド ホテルの部屋番が「287」だったこと

。。。すごくない?

2012年2月20日月曜日

ごまをするのが好きです。

人にごまをするのは、普通に嫌いですけど、ごまをするふりぐらいはできます。大人ですから。

料理でごまをするのは、大好き。
今回のごまは、このあと花山椒を入れられてさらにすられ、砂糖を少しと、しょうゆと、酢を少し入れられて、ゆでた菜の花とごま和えになりました。

沖縄では、沢山のインゲンをもらった日には必ずもうちょっと甘いごま和え。

今日は何を作ろうか、考えあぐねた時は「茹でブタのごま和え」。
もう一品欲しい時は、「菜っ葉のごま和え」。
ちょっとの間なら作り置もできます。


そんな話もありますが、実は明日から旅行です。
今回もバリ。そして久々に海に潜るつもりです。
ちゃんと写真を撮ろうかな。と思ったりしています。たのしみです。

2012年2月6日月曜日

飼い猫に手を蹴られる


今日未明、ベッドの中でちょっと起きかけだった私は、おなかのあたりに丸まる8ちゃんを幸せに抱えてました。
マシュマロと塩大福の中間のような手触り、枕を流線型にしたぐらいの大きさです。

しあわせ♪

ところが突然、幸せな時間には終止符が打たれたのです。

けりっ!けりっっ!!けりけりっっっ!!!
右手首に激痛、よく知っている激痛、もう20年間おなじみのあの感じ。
でもなんでお布団の中で。。。

ま、心当たりは8ちゃんしかいないんで、
「......ぽいっ」
と、ベットの外に8を捨てました。
眠い目で見下ろすと、ぼーぜんとしている8ちゃん。
どうやら夢を見たのか、自分が何を今してしまったのか、訳が分からずも反芻している様子。
いつもは幸せな夢(おっぱいな感じでちゅうちゅうしている)ばかりみてるのに、よっぽど果敢に戦う夢を見たのか、はたまた猫トイレに入ってるときに砂の中から伸びてきた手につかまれるホラーな夢を見たのか。。。。

しばし呆然の8ちゃんでありましたが、はっと私の方を見て(私といえば布団のスキマから様子をのぞいていたわけで)ぽいっと落とされたそのスキマから素早くまた布団に入り、
「ごめんね、ごめんね!(妄想)」
と、腕あたりに鼻をぐいぐい押し付けてきたんですね〜。
そりゃ、かわいいですよ〜。

よって私は、再び幸せなまどろみの海に沈んでいくわけです。
......右手に慣れた激痛をかかえながら。。。。

どっちかっていうと、目覚ましのアラームよりも痛みで目が覚めながら見下ろすと、
右手首にはお見事なリストカット3本。炎症付き。
飼い猫に手を蹴られるの、おはなし。
その心は「目に入れたら痛かろうけど、かわいいから入れちゃう♪」です。



今日の夕方も1件手術がありまして、その頃から結構指に響き始めています。。。痛みが。
「なるほど、尺骨神経を痛めているらしいな」
と、解剖学的見地と押して痛い所見地にもとづいた考察をたてつつ、豆乳で痛み止めを飲み下す次第になっております。
明日は4件手術なんだよ〜、8ちゃんのばか〜〜〜。


でもかわいい〜〜〜。

2012年1月13日金曜日

ブログをまた引っ越しました。
tamana cafeが沖縄にあった時のブログは→http://plaza.rakuten.co.jp/tamanacafe/
沖縄後半戦から東京はこちら→http://tamanacafe.blog36.fc2.com/

そして新しいサイト。

思う事を書こうかと思っています。と思った事を書いています。

これからの人も、今までの人も、どうぞまたよろしくお願いします(^_^)